揺れ日記

熊本地震で被災。行政からも何の支援も無く一人で自費で県外避難転居しました。

もう元には戻れない

熊本を離れて8か月が過ぎた。

そして、来月はあの2度の大地震から1年が経つ。あっと言う間だった。

 

ようやくこの地での生活に慣れてきたのを実感する。

地下街もどこに何の店舗があるか、自分が乗るバス停に近くに出るにはどの出口がいいのか、

バスの路線や地下鉄や私鉄の乗り継ぎ。

下調べをしなくても分かるようになった。

地下街は以前は違う出口に出たり反対方向に進んでしまったりと間違いばかりでイライラもあったけれど、今はこれはあそこが安いとか、

近道やちょっと休むにはこことかトイレはあそこがきれいでゆっくり出来るとか、そんな知識もついてきた。

 

だけど、病院や美容室は長年通っている熊本のでないとダメで、転居地でもトライしたけど

ダメだった。転居地の病院で以前誤診されてしまった事があって、熊本の病院じゃないと怖くて行けない。

 

今の仕事は派遣で、もっと時間をかけ、しっかりした雇用で探したかったけれど、何の支援も受けられず転居諸々の事を自腹でやったため、生活費をすぐに稼がなければならなくて、自分の意思とは裏腹な結果になってしまった。

幸いにも職場環境と人だけは良いのが救いだけども、生活は厳しい。

 

技術系の仕事を永くやっていたので、派遣ではない雇用の求人にいくつか応募し面接を受けた。

転居理由で地震の話をしなくてはならなかったのだが、

「お金(義援金)いくら出た?いっぱい貰ったんだろう」

「どうせ大した事なかったんでしょう、何でわざわざ引っ越してきたの?」

「もうすっかり元どおりですよね」

「あれ、いつでしたっけね?」…などの心無い言葉ばかりで辟易してしまい、辞退するのが続いた。

ある病院の面接で、ここは地震後に支援物資を送ったりしていたところだったので理解があるかなと思ったら見事に無視で、結果受けた所全て誰一人として

「うわ、それは大変でしたね」のひとことは無かった。

 

熊本地震はもう過去の事なんだろうか?

100キロ離れたら、もうこんな軽く見られるんだろうか。

被災して、どんな思いで今までやってきたか

まだ断水したままの地域もあるし、

不自由な生活の中でどうにか取り戻そうと必死になっている人も、それを支えようとしている人もいる。

私のように転居地で懸命に生活に慣れようとしている人も多いはずだ。

それらを分かろうともしない。

というより分かりたくないのだろう。

あちこちで見かける「九州はひとつに」とか「寄り添う」とか「がんばろう熊本」とかの言葉がうわべだけのもので、嘘くさく思えて仕方ない。

転居地で私は孤独に耐えている。

 

常に揺れが来たらと頭から離れないし、夜が怖くて寝付けなくて昼間眠いのをこらえて仕事しているのとか、つい食料備蓄ばかりしてしまったり水の備えをしてないと落ち着かないし 

地震の夢を見て叫び声で起きたり、

昼間でもパニックになって座り込んだりして大変な時がある。

揺れなのかめまいなのか分からないのも頻繁で

トラックが通った後の揺れやサイレンが鳴るとビクついて体が緊張で硬くなり過呼吸と動悸と震えに襲われる。

 

私はやろうと思っていた事も、地震のせいで出来なくなってしまった。

地震で崩れたのは家だけじゃない、人生設計もだ、と同じ被災者の方がツイッターでつぶやいていたけれど、まさにそう。

だけど、そんな状況を分かろうとしない人ばかりで、辛いし悲しい。

 

住処も、人生設計も、精神も、何もかもが

2回の大地震で、一瞬にして崩れてしまった。

私はひとりで生きていくのが本当に辛くなってしまって、どうやって死ぬか考えるようになった。

 

 

 

 

 

 

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