揺れ日記

熊本地震で被災。行政からも何の支援も無く一人で自費で県外避難転居しました。

年末の熊本城

熊本城はこの地に住む皆のシンボル。

職場が変わる度にあちこちの建物から違う角度で長いこと見ていたお城だ。

どこにいても、見守っていてくれていた。

 

地震で崩れた姿を職場のテレビで見た時はみんなショックで言葉が出てこず無言で観ていたっけ。

 

4月の地震以来、いろんな事がありすぎて

まだまとまらない。

転居先の、今の職場で避難所で段ボール敷いて寒くて震えながら寝泊まりしていたこと、給水やスーパーでの行列、2回の引っ越しの話をするとそうかぁ…という表情をされる。

 

あちこちで地震がある日本。

防災意識を高めるため、経験してきたことを少しでも伝えなくてはと思っている。

 

年末迫る日にお世話になった人に会うため熊本に向かう。

節約のためバスで向かったのだが、高速道路の益城ICが近づくと帰省もあってか酷い渋滞。

誰かの舌打ちと文句が聞こえるけど、私は想定していたから2便早いバスに乗ったのだ。

 

ぼんやり外を見るとブルーシートの家は以前に比べ減ってきた代わりにまた更地が増えていた。

住んでいた場所近くを通ると、良く通ったスーパーも、見慣れたガソリンスタンドも、病院も、誰かの家があった場所も、みんな更地になってしまっていて景色が変わっている。

前に聞いた話で確かな事はわからないけれど、私の住まい周辺は地表のズレの真上らしい、だから被害が酷かったんだとか。

 

マンションやビルは補修工事のための足場や重機ばかりで物々しい。

 

2便早いバスだったからやっぱり早く着いてしまい、熊本城を見に行く事にする。

いつも通っていた行幸坂は閉鎖されていて、はてどのルートで行くか考えていたら周遊バスを見かけて乗り込む。

今は城彩苑、という施設だが、ここができる前は城内プールがあって、深くて足つかなくて怖かったんだよ…とか思い出す。

バスの運転手さんが私が夏まで住んでいた事など知らないから観光客向けに城の歴史や通行可能ルートについてアナウンスを始める。

バスは遠回りしてかつて合同庁舎のあった場所から国立病院、YMCA手前から二の丸広場に向かうルートだった。

ああ、こっちかあ…遠回りだなあ、帰りは何処から歩くかなあ…と考えていたら二の丸広場に着いた。

 

いつもなら手入れされた芝生で、猿を連れてるおっちゃんがいて、駆け回る子供達がいて…という広場だけどもフェンスや土嚢で通行止めにされており、警備員があちこちに立っており、フェンスの向こうの敷地には石垣が並べられ、真っ黒の土嚢らしきものが積まれ、足元はぬかるんでいて歩きづらく、天気のせいかどよんと淀んだ風景に変わっていた。

水たまりでドロドロになった足元を見て、かつてヨガのレッスンでこの広場で気持ちいい時間を過ごした事を思い出して悲しくなる。

いつかまたこの広場からフェンスや石垣や土嚢が消え、また子供達が芝生の上を裸足で駆け回る日がくるのかな、と。

 

お土産屋がある建物の瓦は崩れたままで無残な姿と化していたし、見渡すとそこにあったはずの確か薬研堀の上の塀も、櫓も、崩れたまま。

城はあちこち写真などで見ていたから分かっていたけれど、やっぱり酷い。

 

県立美術館の雰囲気とカフェが静かで好きだけどもどうやら閉館になっており、赤煉瓦の建物だけが寒々と佇んでいた。

毎年会社での花見会場となっていた監物台樹木園の前を通り、かなり急な棒安坂を下るルートは通れたのでそこから出る。

KKRホテルを通過し県立美術館分館前の不開門(あかずのもん)近くの北十八間櫓だろう櫓たちは地震後の姿そのままで崩れたままになっている。変わったことといえばブルーシートが剥がされていたくらいだ。

 

本当なら刑部邸まで行きたかったけども、雨とぐったりしてしまったので、鶴屋に向かいひと休憩することにした。

 

年末の鶴屋は混んでいて、さすが郷土のデパートだな…とぼんやりしながら待ち合わせの時間まで待つ。

ざわついたいつもの年末の風景だけども「頑張ろう熊本」とかいうのを見るとああ、やっぱり違うんだなあと思ってしまう。

 

あちこちベタベタ貼ってある「がまだせ」って言葉は頑張れじゃなくて、仕事しろっていうときの意味合いで使う方言なのになあ、言葉だけが独り歩きしている。

あと、私もだけど被災した皆はもう頑張れないよなあ、とも思う。

 

地震後お世話になった人からは、私の生活を心配していて御飯をご馳走になってしまった。

また会おうと約束をして別れる。

中心部は活気があるけど、ちょいと入ると取り壊すのか補修中なのか分からない建物もある。

 

ここは住み慣れ見慣れたところで安心するけれど私の帰る場所が無い。

 

 

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