揺れ日記

熊本地震で被災。行政からも何の支援も無く一人で自費で県外避難転居しました。

フラッシュバック

用事があって、向かうバスの中から

独特の車両が通るのが見えた。

自衛隊の、あの色のトラックだ。

熊本に住んでいた時は駐屯地が近い場所にあったから良く見かけていたが、転居してからはあまり見かけなくなった。

 

続けて2台くらい見た時だ。

涙と震えが止まらなくなりだしてパニックに陥った。

心臓がバクバクしだして、止まらない。

 

そう。地震の時にたくさん「災害支援」のついたあの色のトラックがばんばん通っていたのだ。

朝、避難所から出勤するときも

職場への給水の時も、退勤後、今夜も避難所に泊まるか考えながら一旦着替えの為に帰る道でも、手続きに行った市役所でも、福岡に一時避難する時も、熊本に戻ってきた時の駅でも、どこに行ってもずっと自衛隊の「災害支援」のたすきをつけたトラックを目にした。

 

もちろん、感謝はしきれないくらいにしている。

自分たちは冷たい缶詰を食べ、不眠不休で被災者への温かい食事のために炊き出しや風呂、瓦礫の片付け、道に積み上げられ通れなくなっていたゴミの回収。

私の職場へも水が濁ってしまい、確保できなくなっていた間、給水をしてくれ、透析しなくては生きていけない患者さんが助かったのも、事実だ。

 

だけども、あのトラックを見ると

崩れたビルや家、通れなくなった歩道橋や瓦礫や、がらんとして殺伐とした道路や

給水や臨時で販売しているスーパーでの、見たことないくらいの行列、数時間並んでやっと手にした給水袋、避難所の、体育館の固く冷たい床で眠れず横になっていたことや常に揺れてビクビクしていた、あの時を思い出してしまうのだ。

 

 

転居後、夏にある駐屯地の花火大会に連れていってもらう機会があった。

新しい、慣れない仕事が始まったばかりで疲れていたのと夜であまり見えないのと、人の多さと、花火に夢中で見えなかったが、帰りに遠くに停められた、闇夜に浮かぶあの車両が目に入ってしまった。

その瞬間、思い出してパニックに陥ってしまったが、同行者が気にしたり、またか、という表情が嫌だったので、その時は抑えて平常のふりをするのに必死だった。

 

自衛隊ではないけども、陥没事故があった時、数日たくさんのヘリが飛んでいて

その、ずっと飛んでいるヘリの音でもバクバクして震えていた。

 

地震後、取材なのか輸送なのか昼夜鳴り止む事の無いヘリの音。

救急車なのか消防車なのか、はたまたガス会社の緊急車両なのか聞き分け出来ず、あっちこっちから聞こえるサイレン。

未だにヘリの音でもサイレンでも、バクバクは止まらない。

 

 

 

 

 

 

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