揺れ日記

熊本地震で被災。行政からも何の支援も無く一人で自費で県外避難転居しました。

4月18日 逃避行

朝になった。避難所は物凄く冷えて寒く、全く眠れなかった。ずっとツイッターなどを眺め、ひっきりなしに聞こえてくるヘリや飛行機や救急車のサイレンと揺れの不安や緊張と闘っていた。

ずっと連絡が無かった職場から昨夜「明日は片づけがあるので7時30分に出勤してください」と事務的な連絡があったので一度、荷物を置いてまた出勤しなくてはならない。
 
JRはまだ動いていないが、高速バスが運行可能か協議中とのことで、今日一日何とか我慢すれば、ここを出る事が出来るかもしれない。
 
体力も気力も限界だ。避難も余震も誰かと一緒にいれば耐えられたかもしれないが、
頼る、頼られる人が誰もいなくて
一人で対応していかねばならなくて
泣きたくても泣けない。
 
しかも親しくしている友人すらこの地には
いない。
たぶんいても自分たちの事で精一杯だろう。
 
職場に着くと、熱が上がった時のふらつきとぼんやりが酷くなりとても仕事どころじゃない。
が、やらねばならない。
 
何かを話しかけられても答えに詰まる。
何と答えていいか分からず、話がかみ合わない。
頭に霧がかかったような、ぼんやりした状態で
話しかけた方も被災してるしイライラしているんだろうがよく分からない。
 
この日電話番と見回りや何やかんやでいっぱいだったが、何をしたかよく覚えていない。
皆、対応やら会議やらでバタバタしている。
食欲も食料も無い。が職場に届いた物資の、
お湯を入れて食べるアルファ米を少し食べる。
ずっと続く余震で車酔いみたいになってて、気持ち悪いし、熱も出たままで歩くのすらキツい。
もちろんどこのコンビニの棚は全て空になってしまい、営業しておらず真っ暗。
 
夕方、県外在住の知人から「避難するか?」の連絡。
職場で付けっ放しのテレビからJRが一旦は運行開始したがまた休止、が、先ほどから運行を開始しました、というニュースが聞こえてきた。
もう行こう、行けるかどうか分からない。
途中何処かで止まるかもしれない。
それに列車も何時発まであるのか分からない。
ぼんやりとだが、行ける、と確信する。
 
上司にとりあえず明日休む旨を話したら
よっぽど私の顔色が悪かったのか、しばらく休んだらーと言ってくれた。
 
家に戻り急いで支度をする。
どれくらいで帰って来れるのか分からなくて
着替えも何もかも何泊分入れたらいいか分からない。
とにかくキャリーケースに入るだけ入れ、はっとして隙間にある冊子とハンカチを引っ張り出してねじ込む。
「なし水」という文学フリマか通販でしか手に入らない、A4しんちゃんというチームが作ったものだ。
3月にこのメンバーのこだまさんと爪切男さんのイベントがあり、私は有給を取り飛行機で東京まで出掛けて参加したのだった。
この時初めてツイッターと手作りグッズを介して知り合ったベルク郎さんに会い、会場まで引率されて参加したのだけれど、とても楽しい一夜で地震以来ずっとこの時のことを思い出していた。
本当なら2人のブログ本を持っていきたかったけれども、どうにも入らない。
お守り代わりにと思わず手にとったのがなし水と、ベルク郎さんにいただいたハンカチだった。
 
重い荷物を引きずり、外に出る。
車はバンバン通るけども、急いでるのにタクシーは全く通らない。
市電はまだ運行再開していないらしく、乗り換えなしで熊本駅に行く手段が消えてしまう。
バスだとここから駅行きの便はまだ無いだろう。
交通センターまでとセンターから駅までとバスを乗り換えしなくてはならない。
しかしバスはいつやってくるか分からない。
イライラしながらやっと来たバスに飛び乗り駅に向かう。
 
バスから眺める風景は普段と変わりないようで
変わってしまったような、そんな感じだ。
街全体が暗い。
壊れて変わり果てた熊本城を眺めながらバスは走る。
ずっと道はでこぼこでかなり揺れる。
 
熊本駅に着き、大牟田まで行けるか聞く。
運良くあと20分くらいで次の電車があります、大牟田まで行けるか分かりませんが、と言われたが行けるような気がしている。切符を買う。
 
待つ間も夜は冷える、とにかく寒い。
やっと列車に乗ってもなかなか発車しない。
さあ、という時にまた強い揺れと地震速報のアラームが一斉に鳴る。震度5強。
震度5で余震だからなあ…皆慣れたのか悲鳴をあげず静かだ。
ようやく発車となったが、歩くスピードで少しずつしか進まない。
JRの電車から見える車道は車の列。渋滞が激しい。
このままだと大牟田発天神行きの西鉄電車に間に合わないかもしれない。焦るがどうしようもない。最悪大牟田駅近くのホテルに泊まらないといけないかもしれない。
 
また熱が上がってるのか酷く寒い。携帯しているカイロを出し暖をとる。徐々にスピードを上げる列車。
ぼんやり外を眺めたりツイッターやメールに返信したりしているうちに玉名を通過。
ずっと省電力モードにしているが、電池足りるかなとハラハラしつつも、逃げられたという感覚でやっとほっとする。
 
玉名を通過してからスピードがぐんぐん上がる。乗客のほとんどが西鉄を使うから車掌さんが間に合うようにと飛ばしてくれているようだ。
南荒尾、荒尾、あと一駅。
どうにかギリギリの時間で大牟田に着き、最終の西鉄に乗車。これで福岡まで行ける事が確実になった。
 
大牟田に着くまで相当緊張していて、ぐったり力が抜けた状態で西鉄の電車に乗り、今までの事を思い出しながら、ぼんやり外を眺めていると途中、サラリーマンの酔客がドカドカ乗車してきて会社や家の愚痴を話しているのが聞こえてきた。聞きながら
「ああ、この人たちは地震の恐怖や不自由な生活とは無縁の、何もない日常を過ごしているんだな、いいなあ…」と思っていた。
 
 
午前0時を回った時間、私は天神に無事到着。
行き違いがあったりしてトラブル満載だったが、迎えに来てくれてた知人と無事会え、涙が出そうになる。
たった100キロしか離れてないのに、街が明るくてキラキラしてて眩しくて目が慣れない。
 
私は頭がぼんやりしていて、後に知人が「あの時は会話が噛み合わなくてイライラしたけど、いつもしっかりしてる人だし、それくらい大変な思いをしてきたんだなと思った」と話してくれた。
 
途中寄ったコンビニで「うわぁ、棚にいっぱい(商品が)あるー!!うわっ、選べるの?」と無意識のうちに叫んでしまい、店員さんから冷たい視線を投げられる。知人は他人のふりをしていた。
わたし熊本からの被災者なもんで…と話す。
ああっ、と言葉を詰まらせる店員さん。
 
知人宅に着き、やっと体育館ではなく暖かい部屋で、床に段ボールではなくベッドで、温かいお湯が出るシャワーで体を洗え、水が出るからトイレも使え、そして数分〜数十分おきにくる余震とけたたましいサイレンやヘリの音を気にせず眠れるのだ。
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