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揺れ日記

熊本地震で被災、その後について書いています。

迷いながら生きる

転居してしばらくの間は、報道がすぐにされなくなりだしたのもあって、被害の大きさや深刻さを一人でも多く理解してほしくて転居先やツイッターでも話したりしていた。

 

転居先は熊本から100キロほどしか離れていない隣県だし、私のように避難転居した人も多いのに、みな驚くほど無知で、私たちの気持ちも考えずに

「転居するくらい酷かったの?」とか

「どうせ人ごとだから」と平気で言う。

ぶん殴りたくなるのを何度こらえたか分からないくらいだ。

 

転居先の暮らしは便利だけれども、

そういうので息が詰まりそうになるから割と頻繁に日帰りで熊本に帰っている。

少し前に熊本に帰った際に、昔勤めていた職場のメンバーが集まり昼ごはんを食べる事になった。

 

そのうちの一人は現在、やっと決まったみなし仮設に住んでいる。

そうかあ、ひとまずは住むとこ決まって良かったけど(退去まで)あと1年半くらい?

なかなか落ち着かんですね…と言うと

「そうなのよー、まだまだよね」などと話した。

私も転居先で理解が無く、無神経な言動が多くて嫌な思いをしていることを話すと、えっ、隣県でと、びっくりしていた。

 

転居先では「みなし仮設って何?」

と聞かれるので仮設住宅との違いやシステムから話さなくてはならず、非常に骨が折れる。

しかも一人だけではなく、職場でもあちこちで何人にも同じ説明をしなくてはならなかった。

職場での飲み会では上司から地震の事でプライベートな内容にまで及ぶ事をしつこく聞かれて辟易してしまった。

 

上司なのでなかなか話したくないと断わるのが難しい。

その後も違う上司がしつこく聞いてきたり、自分一人だけ転居してきていいのか、とか余計なお世話だと思うことを言ってきたりする上司もいる。

 

話しているとあの時の恐怖や辛さが蘇ってきて

必ずパニックに陥るし、夢に見てうなされてしまう。

なので、これからは聞かれても話さない事を決めたが、今まで相当無理していたのだということにも気づいた。

 

死ぬことばかり考えてしまうようになったのは

転居先でのこれからの住まいが見つからないのと、こういった無知な人たちが引き起こす無知な言動が原因である。

ツイッターでも、嫌だなと感じる時があり、今は時々メッセージの確認をするだけで基本放置している。

 

 

熊本でも温度差があって、被害の大きさが分からない人もいる。

けども、ほとんどが恐怖や不自由さを経験しているからいちいち話さなくても分かる。

ここが転居先と大きく違うところで、

例えば「私ね、頭が全部白髪になったとよ〜」

と話すと「あぁ、私も白髪とシミやらシワの増えたよ、たいぎゃ老けた」

「そうそう、わたしも。顔洗えんかったし、それどころじゃ無かったもんね〜」とこんな感じで多くを話さなくても分かりあえるのが楽だった。

もしもまた地震あったら次は頑張らんですぐ言わなんよ!と普通に言い合えるのが嬉しかった。

 

この気づきがあって、転居先に戻る時に「転居先での住まいも見つからなかったし、精神的な面から熊本に帰ったほうがいいのかな」と考えてしまった。

 

だけども、私の置かれた事情を思うと

すんなり熊本に帰ることは難しい。

今はまだ転居先での仕事があるのですぐにはといかないし、熊本での仕事が決まらないと住まいも契約出来ない。

 

これからどちらに住むか、焦らずしばらく迷ってみよう。

流れに逆らわず、自然に任せよう、と小さな決意をした。

 

 

 

 

 

 

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掬い上げられて

一年前、地震に遭ってから熊本を離れるまで

3か月近く仕事をしながら避難所や知人宅や宿泊先や職場や宿舎とか寝る場所と身体を洗う場所が変わり、水が出なくてトイレや汲みおく水は何処で、とか食べ物は何処で手に入るのかを毎日調べ、2回の引っ越し転居の手続き、お金の心配もあり転居後すぐ新しい仕事と、生活を立て直すことに必死だった。

とてもじゃないけどマトモな生活ではなかったな、良く耐えてたなと、思う。

 

転居先では分かろうとしない人々ばかりで、

心無い言動に傷つきフラッシュバックに振り回されている。

 

2回の大地震は夜だったのもあって

今でも眠れない夜が続いている。

 

頭髪は全て白髪になり、見える所だけ頻繁に自分で染めている。ちょっとかきあげると真白。

シミシワが増え、数歳分老けた。

顔面と頭皮に湿疹が出来、痒みとボコボコが引くのに数ヶ月かかった。

常に頭の中に「今地震が来たら」というのが

あって、ゆっくりお風呂に入れなくなったし、真冬でもシャワーでサッサと洗うだけ。

 

泣きたくても泣けず、心から楽しむこともなくて感情が死んだようになり、抜け殻になった私はただただ仕事だけして食事は餌のようになってしまった。

 

先日日帰りで熊本に帰った際に前の職場の

メンバーで集まった時に

「また痩せたね、大丈夫?無理してるんじゃない?」と言われた。

地震の事を転居先みたいに「わざわざいちいち細かく」聞かれないし言わなくてもいい。

言わなくとも分かるのがとても楽だということに気づく。

 

転居先で住替えを考えていたけれど、私の条件では難しく、地震のストレスもあって

この先生きていく事に意味が無くなり毎日毎日どうやって死ぬか、そればかり考えていた。

 

そんな時に有難いことに、ある方からまるで神様の手に掬い上げられるようなメッセージが届いていた。

誰かに頼る事なく1人で生きてきたように思ってきたけれど、それは間違いで誰かの支えがあってやってきてこれたのだ。

 

でも…頼っても、甘えてもいいのだろうか。

本当に困ったら、と思う。

 

不思議なもので、もうダメだとなった時に何かにひょいと掬い上げられるような、掴み上げられるような事が起きる。

癌が見つかった時も本震の時もそうでまだ死ぬのは早いと言われているような、そんな気もする。

 

私は誰かの支えに、誰かを支えられる

そんな存在になっているのだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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忘れることは不可能

思うところがあり、昨年末から部屋を探しているものの土地柄らしく、保証人不要物件自体かなり少なく難しくて探すのをやめてしまった。

 

先日残業して帰宅すると天井から漏水して水たまりが出来てて、しばらくぼんやり眺めていると地震後、あちこちに入ったクラックと漏水が酷くてその時の事を思い出してしまった。

今の住まいの場所は便利だけど古くて不具合が多いのがネック。被災者支援物件ですぐ契約出来たのは良かったのだけれども。

 

こんなことに慣れてるのも何だかなあと思いながら、何処から漏れてるか天井を開けて調べ、写真を撮り不動産屋に連絡。

 

ここに住まうのは限界かもしれない。

あと1社、と、ある不動産屋へ内見含め出かけてみたら今より家賃が安く職場に近い、ちょうどいい物件が出たばかりで、うわあ…漏水グッドタイミングかも…と浮き足立ってしまった。

 

不動産屋からこちらが地元ですかと聞かれ、

本震からちょうど1年、という日というのもあり地震で転居したこと、地震後の不自由な生活のことを少し話した。

そんな状態だったんですね、全然知らなかった、と言われた。

 

「知らない」んじゃなくて、

「知ろうとしてない」だけでしょうと言いたくなるのをこらえるのに必死だった。

そうしたら「『地震のことなんか』忘れてこっちでの生活楽しみましょうよ〜」と。

 

私の中でまた何かが爆発してしまった。

なんかって何だよ、忘れられる訳がない。

いつもいつも何をしていても

「今地震きたら」というのが離れなくて

楽しめないんだよ。

今でも毎晩眠れないのなんてあなたには想像もつかないでしょうけど。

とまでは言わなかったけれどそんな内容の事をこらえきれずキツく言ってしまった。

 

結局、保証人無し物件だったけども

内金が必要とか退去時にクリーニング代がいるとか緊急連絡先は近くに住んでる人がいいとか言われ、そこまでの付き合いの人もいないし断わるしかなかった。

 

あーあ、熊本帰った方がいいのかなあ…という気持ちが一層強くなる。

先日帰った時に桜舞い散る中で熊本城を見るとクレーンが見えた。

お城も少しずつ少しずつ、前に踏み出している。

転居先はとても便利だけども、配慮というか優しさや温かみが無く冷たい気がする。

私は以前のようにお城を毎日眺められる生活に戻りたいのかもしれない。

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あの夜から一年

4月14日、が来てしまった。

熊本でまた揺れが続いているし、こちらでも朝から揺れたのもあり、「何事無く過ぎますように」と祈りながら仕事を進める。

熊本を離れたからか周りの人からは何も言われない。気遣いか無関心なのか。残念ながら後者の方が色濃い。なぜなら職場の朝礼でもスルーされ黙祷すら無かったのだ。

 

前震から一年。あの日から何もかもが崩れた。

家や道路だけではなく、人生設計までもが。

 

地震が無かったら、私はこの地にいないし

もちろんここにもいなかった、という話を職場でしたら「そうかあ…そうなんだよね」と言われる。

地震が無かったら。を考える。

前職を退職せずに別部署で継続雇用されていただろう。その話をきちんとした形で進める矢先の地震だったから。

やりたかったアロマやハーブの教室を始め、時々旅行したりと、のんびりと暮らしていたはずだ。

 

住まいや仕事を探して路頭に迷ったり

あちこち転々としなくても良かったし

髪の毛が全部白髪にもならず

心労や毎日の睡眠不足で顔が老ける事も無かったし

食料や水が無い不自由な生活にもならなかったし

転居もしなくて良くて、失礼な言動に怒りを覚えたりも無かったはずだし

何よりも揺れに怯えながら夜がこんなにも怖く感じる事なく過ごせたはずだ。

 

時々、地震さえ無ければ…と何処にもぶつけられない怒りをどうする事も出来なくて、ただただ悔やみ悲しむしかない、という事がある。

 

今日も空を見上げると満月。

絶え間なく続く揺れの中、

寒さに耐え、給水の行列に並んだあの夜。

見上げると満月だった。すごくきれいだったけれども

地震以来、満月と夜空が嫌になってしまった。

必死に駆け抜けて耐えてきた夜たちを思い出すから。

 

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もう元には戻れない

熊本を離れて8か月が過ぎた。

そして、来月はあの2度の大地震から1年が経つ。あっと言う間だった。

 

ようやくこの地での生活に慣れてきたのを実感する。

地下街もどこに何の店舗があるか、自分が乗るバス停に近くに出るにはどの出口がいいのか、

バスの路線や地下鉄や私鉄の乗り継ぎ。

下調べをしなくても分かるようになった。

地下街は以前は違う出口に出たり反対方向に進んでしまったりと間違いばかりでイライラもあったけれど、今はこれはあそこが安いとか、

近道やちょっと休むにはこことかトイレはあそこがきれいでゆっくり出来るとか、そんな知識もついてきた。

 

だけど、病院や美容室は長年通っている熊本のでないとダメで、転居地でもトライしたけど

ダメだった。転居地の病院で以前誤診されてしまった事があって、熊本の病院じゃないと怖くて行けない。

 

今の仕事は派遣で、もっと時間をかけ、しっかりした雇用で探したかったけれど、何の支援も受けられず転居諸々の事を自腹でやったため、生活費をすぐに稼がなければならなくて、自分の意思とは裏腹な結果になってしまった。

幸いにも職場環境と人だけは良いのが救いだけども、生活は厳しい。

 

技術系の仕事を永くやっていたので、派遣ではない雇用の求人にいくつか応募し面接を受けた。

転居理由で地震の話をしなくてはならなかったのだが、

「お金(義援金)いくら出た?いっぱい貰ったんだろう」

「どうせ大した事なかったんでしょう、何でわざわざ引っ越してきたの?」

「もうすっかり元どおりですよね」

「あれ、いつでしたっけね?」…などの心無い言葉ばかりで辟易してしまい、辞退するのが続いた。

ある病院の面接で、ここは地震後に支援物資を送ったりしていたところだったので理解があるかなと思ったら見事に無視で、結果受けた所全て誰一人として

「うわ、それは大変でしたね」のひとことは無かった。

 

熊本地震はもう過去の事なんだろうか?

100キロ離れたら、もうこんな軽く見られるんだろうか。

被災して、どんな思いで今までやってきたか

まだ断水したままの地域もあるし、

不自由な生活の中でどうにか取り戻そうと必死になっている人も、それを支えようとしている人もいる。

私のように転居地で懸命に生活に慣れようとしている人も多いはずだ。

それらを分かろうともしない。

というより分かりたくないのだろう。

あちこちで見かける「九州はひとつに」とか「寄り添う」とか「がんばろう熊本」とかの言葉がうわべだけのもので、嘘くさく思えて仕方ない。

転居地で私は孤独に耐えている。

 

常に揺れが来たらと頭から離れないし、夜が怖くて寝付けなくて昼間眠いのをこらえて仕事しているのとか、つい食料備蓄ばかりしてしまったり水の備えをしてないと落ち着かないし 

地震の夢を見て叫び声で起きたり、

昼間でもパニックになって座り込んだりして大変な時がある。

揺れなのかめまいなのか分からないのも頻繁で

トラックが通った後の揺れやサイレンが鳴るとビクついて体が緊張で硬くなり過呼吸と動悸と震えに襲われる。

 

私はやろうと思っていた事も、地震のせいで出来なくなってしまった。

地震で崩れたのは家だけじゃない、人生設計もだ、と同じ被災者の方がツイッターでつぶやいていたけれど、まさにそう。

だけど、そんな状況を分かろうとしない人ばかりで、辛いし悲しい。

 

住処も、人生設計も、精神も、何もかもが

2回の大地震で、一瞬にして崩れてしまった。

私はひとりで生きていくのが本当に辛くなってしまって、どうやって死ぬか考えるようになった。

 

 

 

 

 

 

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震える夜

夜、Amazonプライムでダーティーハリーを観ていたら何かおかしい。

あれれ、めまいかな?いや違う。部屋に干した洗濯物が揺れている。間違いない、地震だ。

それは長い揺れで、無意識のまま携帯を握りしめ玄関に逃げる。

逃げながら揺れが強くなった場合の水の確保や着替えなどの段取りや避難所の経路を考えていた。

 

本震の、あの時は頭痛で眠れなくて、ダウントンアビーを観ていたらいきなりドン!と経験したことが無い揺れがきたのだった。

夜中と何かを観てたので、また同じ状況だったから震えが止まらなくて仕方ない。

 

速報で震源地は日向灘。震度4。

揺れの範囲が広い。熊本は既に揺れすぎて脆くなっているし、かなり揺れを感じただろう。

今後また大きい地震が来るのだろうか。

 

熊本を離れていても、この長い揺れはダメージが強い。

たとえ少しの揺れでも、ひとりでは持ちこたえられない。

今夜は眠れないだろうなと玄関の明かりをつけ、レスキューレメディを舌下に垂らす。

また明かりをつけたままでないと落ち着かない夜に戻ってしまった。

 

 

 

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どうしたらいいのかわからない

もうすぐ地震から10か月。

先日熊本に帰った時に高速バスの中から見える景色はまだブルーシートの屋根が点々とあり、更地が増え、足場ばかりのビルやマンションに変わってしまっていた。

用事があって月に一度は帰るのだけれど、

帰るたびにどんどん景色が変わっている。

 

信号で止まった時にふと一軒の家に釘付けになった。

周りの家はきれいに修理されているのに

まだ築浅で立派なのに、その家だけ地震後の姿そのままで瓦は崩れ落ち、ガラスも割れたまま(割られたのかも)壁も割れたまま。

基礎がダメになっているのか、柱が腐っているのか、傾いていた。

 

すぐバスが発車したため、あまり詳しく見れなかったけれど、その家は私のように思えて仕方ない。

 

地震後から頼る人もおらず、ずっと一人で、避難所などで寝泊まりし、水が出ない不自由な生活の中で、ややこしく様々な事に対処しながら仕事もこなし、2回引っ越しをし、休む間もなく、慣れない土地での生活と仕事をスタートせねばならなかった。

 

辛くて「辛い」と言っても

転居先では「結局人ごとなんで」と

熊本では「仕方ないし」と

少しだけ付き合った人は「またか…」と眉根を寄せるだけだった。

 

だからもう、辛くても誰にも話せなくなってしまった。

どこにいても聞いてもらえないこと、あの二晩続けて来た揺れの恐怖、また来たらまた一人で対処しなきゃいけない…という思いが強い。

多分、それがキツい原因なのかもしれない。

 

睡眠時間は毎日4時間眠れればいい方で

眠りは浅く、寝た気がしない。

朦朧としたまま会社に行き、朝から仕事中に睡魔が酷くてドリンクやらが手放せない。

食事を作る気にもなれなくて、でも何とか作ろうとしたけれど、また作る気にもなれずにご飯だけは何とか炊いてふりかけとか、もう最近はそれすら面倒になりインスタントラーメンとかパンとか。残業すると面倒すぎて食べない時もある。

ストレスからなのか胃炎やできもの、無意識に口の中を噛んでしまい常にただれてボロボロだ。

 

楽しいことはいっぱいあるはずなのに、

楽しめなくなっている。

たまに外で何か食べても前みたいな感覚が

ない。

私はもう、地震後そのままで復旧もされないまま取り残されている家そのものだ。

いろいろともう限界かもしれない。

 

時々被災者用の「いのちの電話」みたいな電話相談があるよ、と教えてもらうけれど、

12月で終了していたり熊本からの発信じゃないとダメだったり、よりそいホットラインは

「受付終了しております」の寒々としたアナウンスが流れるだけ。

私のように県外へ転居した被災者の相談窓口が、熊本からの転居者が一番多いと言われている福岡市にすら無いのだ。