揺れ日記

熊本地震で被災。行政からも何の支援も無く一人で自費で県外避難転居しました。

仕事決まれど住む場所がない 後編

さあ、地震から2年経って仕事が決まりやっと熊本に戻ることが…と思いきやまだまだ道のりは遠いのです。トホホ。

 

派遣だけども仕事が確定したので

部屋を探しに早起きして高速バスで熊本の不動産屋へ向かう。

問い合わせしていた部屋は決まってしまったとのこと。またかよ。

 

店内は新築物件のチラシがあちこちにベタベタ貼ってあるのだけども全て赤く「満員御礼」と記載されリボンが貼り付けてあった。

 

いま条件に合ってご案内出来るお部屋がですねー、ここしかありませんねー。

あとはまだ入居中で来月退去予定なんですよー。

 

ここしかありませんねー、の空き物件、場所は良かったので見に行くことにする。

 

エレベーター無しの4階。写真では良かったのだけども、行ってみるとびっくり。

全てが地震のあとそのままだった。

 

外壁も、コンクリートの階段も、あちこち亀裂が入り割れたままで階段を上る際に足を取られてグラリとなる。

 

部屋はドアが開きづらくなっており、壁に穴が開いていてたくさんの亀裂が入り、盛り上がっていて段差もついている。

トイレも風呂も真っ黒いカビだらけ。

別の空き部屋は窓ガラスが割れたままだった。

 

場所だけは良く、ベランダからの眺めと風通りはバッチリだった。けども

建物全体良く良く見ると基礎からズレている。

不動産屋は清掃はしますけど、補修は…どうかな…とうやむやな返事しかしない。

おそらく資金問題で解体も出来ず放置していて、住む人がいるなら住んでいいよーという物件と判断。

一瞬、私の住んでた部屋も、どこもこんなだったなと2年前が懐かしくなってしまったが、いくら清掃してもこの状態のままお金払って住むのは嫌だ。

 

またか、というよりまだまだ帰って住むにはダメなんだな。としか思えなかった。

追い討ちをかけるように入居時審査で派遣だとバイトと同じ扱いになるんで保証人、2親等以内で収入がある人が必要になりますねーと言われてしまうが私にはそんな人はいない。

 

ああ、やっぱりダメなんだな…しょうがないか。

 

諦めて辞退の連絡を入れるも、派遣会社のジジイに「もう取り消し出来ない、部屋が無いとか入居出来ないなんてそんなはずはない、あなたね交渉が下手くそだよ。役所とかに相談に行け」などと延々とクドクド怒鳴られ、

失礼過ぎる、もうやだ!!と爆発してしまった。

 

会社で保証人になるからとまで言われたけど、じゃあ2年後4年後更新時に仕事があるか分からないし、派遣だから3年で終わりだし契約切られたら出て行かなきゃならなくなる、その時、別の部屋が借りられずに住むとこ無くなる…なんて事になりうるのだ。

そこまで責任とってくれるのですか、と問うと流石に黙っていたけれども。

 

取り消し出来ないって言われても契約書もらってないし、部屋無かったらまた辞退せざるを得ないですよ、とか話はしていたのだから。

 

うーむやっぱり断って良かったのかもしれない…と思った矢先にまた熊本で震度4。

 

まだまだ、まだまだです。

 

 

 

 

 

 

仕事決まれど住む場所がない 前編

温かくなり始め、地震から2年が経とうとする3月下旬に、熊本に戻るためにと面接を受けてみたら採用となった。

 

しかし、住む部屋が無いのだ。

 

勤務スタート日をずらすのはできないと言われてしまったため急いで入居できる部屋をと不動産屋に問い合わせてみても

この時期は物件少ないのに地震の影響もあって、物件奪い合いになってまして

すぐ入居出来る空き物件自体が無いんです、の一点張り。

 

ネットで検索すると出てきてたので安心していたのだけど、それらはまだ入居中で、これから退去するもので勤務スタートには間に合わない、との事だった。

 

しばらく福岡から通勤出来ないかと交渉してみたのだけれど「通勤しながら引越しなんて現実的じゃない、あと通勤費は出せないから自腹で」とかなり冷たく乱暴に言われてしまい、なんかもうこれはダメだな、と思ったのと通勤出来るか体力の不安もあって結局辞退した。

 

 

4月になり派遣だけども勤務日調整出来ます、という私の経験に合った仕事を見つけたので問い合わせをしてみると

早速顔合わせをしたい、と先方から回答

とのこと。

しかし地震復興に関する仕事なので、今決定しているのが来年3月まで、以降は継続になるかどうか不明。うーむ。

まあ一応詳細聞くだけでもいいかなと派遣会社の営業との待ち合わせ場所へ向かう。

 

ちなみに派遣会社の営業担当者とはこの時初めて会うため、どんな人かは分からない。(そしてこういうパターンが多い)

今まで派遣会社の営業というと私より若い人ばかりだったので今回もそうかなーと思いきや、やってきた営業担当者がかなりくどくて嫌な言い方のジジイで「ぶわー断ればよかった」と後悔。

 

就業先の担当者からは既に私で決定しているらしく、いつ頃勤務できる?などそんな話になってしまった。

前回の事もあるので、一応部屋があるかどうか問い合わせをしてて、決まってしまうかもだけど1件だけ入居可能なのがあります、と回答された旨を伝えスムーズにいけば3週間くらいで勤務可能、と話す。

 

地震で大変だったでしょう、少しくらいなら調整もしますから、と言われて嬉しかった。

やっと戻れる。やっと。

 

が、しかし辞退せざるを得なくなるのだった…(続く)

生きる気力がない

先日東京へ行った時の事。

羽田から移動する時、

宿泊先へ向かう電車を待っていた時、

イベント会場に向かう時、宿泊先に戻る時、実は何度もふらりとホームに飛び込みそうになった。

 

たまたま、私が乗る沿線ばかり人身事故が続いててホームに警備員らしき人が立っていた。

察知されたのか警備員は私の前から動いてくれず、結局飛び込まなくて済んだのだけども。

 

地震前に必ずやってくる体調の悪さもあるのか体がふわりと引き込まれていく感じだった。

死にたいのか、もうそれすらわからない。

 

ただ、熊本に戻りたくても戻れないという今の状況、それがつらくてきつい。

住まいのこともある。

このまま継続して福岡に住めるかどうかわからない。

そういった不安がいつもつきまとい、不安は日毎に増している。

 

 

福岡ではバス移動が多く、ほとんど電車を使わない。

たまに乗っても私が使う駅のほとんどがガードされていて飛び込みが出来ないようになっている。

 

福岡で知った人といっても職場で接するごく僅かな人しかいないし、家族も誰も悲しむ人はいない。

 

 

 

地震のせいで私のどこかも崩れてしまったままだ。

あれから感情がどうにもならないくらいコントロール出来なくて、この先どうしたらいいのだろうかとか、不安や辛い事しか浮かばなくなった。

未だに地震の夢でうなされてしまう。

死んだら原因は確実にあの地震だ。

 

何か書き記した方がいいのだろうか、

警備員が目を光らせるホームで、引き込まれないよう足にグッと力を入れながらぼんやりそんなことを考えていた。

 

2年ぶりの

約2年ぶりに東京に来ている。飛行機が取れなかったり何やらでゆっくり出来ないのが残念だけども。

地震のあとから泊まりでどこかに行くというのが出来なくなっていたのだけど、年末思い切って短いながらも1泊したら大丈夫だったので1泊ならいいのかもしれない。

 

地震の1ヶ月前にこだまさんと爪切男さんのイベントに参加するため東京に行ったのだった。

あのときは初めて行く阿佐ヶ谷で緊張していて、でも楽しく忘れられないひとときで、地震後の避難所やきつい生活の中でその事を何度となく思い出していた。

 

今回はこだまさんと爪切男さんが同時に本を出版した記念のイベント。

チケット取れないだろうなあ…と思いつつPCとスマホの二刀流で盤石の体制で挑んだらあっさり取れてしまった。

 

こだまさんの著作の中に巻き込まれている話があるけれど、私も巻き込まれていきつつある。

 

しかし、前回引率してくれた友人ベルク郎さんが今回チケットが取れなかった…と聞き、しまった2枚取っとくんだったと後悔していたら行けなくなった方から譲ってもらえたとの事でヤッタ!

 

こだまさんの古い友人であるベルク郎さん、やっぱりしっかりと巻き込まれている。

前回お土産をちゃんと準備していなかったので、今回は少しずつ時間をかけつつ、あれも食べさせたい、これもあげたいとあちこちで購入していたら、お洒落からは程遠い、孫のために買いためたばあちゃんの土産になってしまった。

 

そんなこんなで当日を迎え、

無事またベルク郎さんと合流し会場へ。

2年前も会場前は行列になっていたけれど今回は列が長くなっていたし、客層も前回とは違っていた感じがする。

 

こだまさんは顏出しNGだから何被ってくるのかなあ…とワクワクしていたら

般若が現れた。般若、まじかよ。似合ってるよ。

くまモンの被り物を探して送ろうかとか考えていたけど、無用だった。般若には勝たない。

しかし般若の面のせいでストローが口にささらず思わず手伝いたくなってしまったけれど、そういうところもこだまさんらしくてかわいい。

 

実はずっとストローが気になって、いちごみるくを飲ませてあげたくてウズウズしていたため、内容を余り覚えていないのだった。

 

覚えていることといえば、前回爪さんのお母さんのメールで爆笑してしまったのだけど、今回もラインのメッセージで超爆笑してしまった。

マンハッタン。

九州の人民なのでマンハッタンというとドーナツ状の菓子パンが浮かぶ。

マンハッタンの続きが読みたい。

 

お二人で共通しているのがメルマガとかライターとか「書く仕事」をしていたという点。

だから本になるような話を書けたのかなあとぼんやり考えていた。

 

 

イベントではここでしか聞けない話や執筆中の話も聞けて久々に笑った。

 

 

地震のあとから楽しいことを素直に楽しいと感じられなくなってて、毎日誰とも話さず親しい友人もいない中で孤独に過ごしていて、気持ちがかなり荒みきってノイローゼ気味になっていたのだけど、一緒にイベントに行ってくれたり、こだまさんや爪さんが好きで共に過ごす人々がいることに気づき感謝している。

 

お二人にお土産渡せないかも、と思っていたけど最後に無事渡せて良かった。

 

このイベントのためだけの東京行きで他に何処も観光しておらず、もう羽田で帰りの飛行機を待っているのだけども、

次は品川神社に行ってそこからの景色を眺めてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうにもならない

年が明け、熊本での仕事で応募していたところから面接の通知が届いた。

仕事を休み、スーツを着、早朝暗いうちに家を出て寒い中面接のために熊本に向かう。

 

ひとつは私がやりたくて経験を生かせる仕事。ただし会社の場所が郊外なうえ、通勤費が出ないため必然的に住むエリアが限られる。

 

昨年よりは随分増えたけども、賃貸物件が地震の影響がまだまだあるのか数が少ない。

面接で仕事の経験の話のあとに、地震後の一人で耐えた不自由な生活のこと、自費で転居までやってのけた話をしたら、そんなタフな人なら是非にと即決で採用が決まった。

しかし、私の必須条件である保証人不要物件が通勤可能エリアで無く、あちこち問い合わせしたけれど、住む部屋がどうにも見つからず辞退しなくてはならなかった。

 

もうひとつは以前勤務していた職場の他部署。

待遇が比較的良く通勤費が出るので住むエリアを絞らなくても良い。

決まればいいなあと思っていたけれど

しかしここは引越まで待てないと不採用になった。あーあ、である。

 

 

他にも熊本の派遣会社から電話がかかってきたりしたけれど、仕事や住む部屋が決まるまでには至らずで諦めるしか無いのかなあと思ってしまう。

 

昨年7月より県外避難者で希望する人にボランティア団体から熊日新聞が郵送されるようになった。

もちろん私の元にも数日遅れだったりするけど熊日が届くようになった。

 

最近県外避難者の連載が開始されているのだけれど、逃げたとか自分から出ていったのだから支援なんて必要無いとか、そんな声もあると書いてあった。

 

できれば熊本に残りたかったけれど、仕事の契約満了が7月で、無職までカウントダウンな状態で職場の宿舎に仮入居させてもらっていたので退職したら出なくてはならない。住む場所がなくなる。

 

住所不定もうすぐ無職。 

 

そんな状況で住む場所と仕事両方探すのは難しいと目に見えて分かっていたし、何より水が出ない生活や、寝る場所求めて彷徨う避難生活や絶えず続く余震に心も体も疲弊しまくっていた。

なら仕事求めてしばらく離れた方がと思っていたところに県外での民間賃貸物件に優先的に入居できる情報を得て、熊本を離れることに踏み切ったのだった。

 

だけど、私みたいに自費で賃貸物件に避難したのは県が県外避難者としてカウントしている数には入っていない。

熊日の取材対象もみなし仮設や公営住宅に入居している人ばかりで、完全に埋もれてしまっている。

 

いつ戻れるか分からないし、

もう諦めるしかなくて、こちらで住むことを考えた方がいいのだろうか。

 

美容室や病院など、用事があるたびに熊本に帰っていたけれど、昨年末からなるべく帰らないようにしている。

行き来の交通費の負担が重く、節約のためだ。

美容室もこちらで探し、通うことにした。

熊本の行きつけの美容師さんほどカットが上手じゃないけど、仕方ない。

 

だけど我慢し耐える事が地震以来2年近くずっとずっと続いていて、時々抑えられないくらいイライラしてしまって買い物先でとか、あちこちにあたってしまう。

 

ただ住み慣れた熊本で、落ち着いて穏やかに毎日を過ごしたいだけなのに。

それが叶わない。

 

 

 

帰る地はどこに

先月末から日帰りだけど毎週末、熊本に

帰る用事がありバタバタと行ったり来たりしている。なかなかに忙しい。

 

昔住んでいたエリアに数年ぶりに立ち寄る事になり、少し手前でバスを下車し歩いてみることにした。

 

コンビニや飲み屋とか懐かしい街並みは余り変わっていないように見えていたけれど、もしかしたら住んでいたかもしれないアパートが取り壊され新たなマンションが建築中となっていた。

 

驚いて、うわぁと声に出してしまったのが目印となっていたスーパーが何と更地になっていて、そこには何にもなかった。ただの砂利のがらんどうの土地がそこにあった。

 

大手じゃない、昔からある店舗だったけどそういうのが良くて、野菜を買いに仕事の帰りに寄っていたのだけれど、引っ越してから行かなくなっていた。

割と大きな建物だったから大丈夫かなあと思っていただけにショックは大きい。

 

 

更地になっていたのが、あまりにショックでぼんやりしてしまい行き先の道を間違えて違う方向へ歩いてしまっていた。

 

 

帰り道、地震のあと開いてるコインランドリーを探してこの辺まで来たんだったなあ、とか思いながら帰路についた。

 

街中はクリスマスの買い物客でごった返していて、傍目には地震なんかあったのかなと思うくらいだけれど、

記憶には人が少なくて、店舗が閉まったままの、暗くてがらんとした街中がはっきりと残っている。

ぽつんぽつんと炊き出しをしていて、人びとが行列になっていた景色も。

 

ここにまた帰ってくるのかな、それとも今のまま福岡に留まるのか、どうなるのか分からない。

私の帰るところはどこにあるんだろうか、迷路の中にいるような感覚に陥ってぐるぐると目眩がしてきだした。

 

 

一年7か月

地震被災し熊本を出て県外に住む希望者に地元の新聞、熊日を届ける支援というのが始まり最大一年、郵便で届くようになった。

 

あれを経験していない人びとの記憶からは薄れてしまっているし、職場でも

「まだ地震のこと言ってる」と呆れられている。

郵便だから2日遅れだけど、でもちゃんと届けられる熊日を読むとあちらこちらでまだまだまだまだ、やっとこれからという状態で爪痕は深く大きい。

 

一ヶ月半ぶりに熊本に帰る用事があり

少し城の周りを歩いてみると、

仮舗装の、でこぼこした歩道になっていて、何処からかドリルの音が響いていた。

 

 

立ち入り禁止の黄色いビニールテープがひらひらしている解体を待つアパート、解体真っ最中の家、お金の都合がつかないのか資材不足からか未だブルーシートの屋根たち。

解体し更地になっていたり、まだ通行止めになっている道、マンションやビルの多くは補修中で、足場や防音シートで囲まれたのが多く、灰色一色の景色になっている。

 

 

私は私で、熊本に戻ることが出来るのか、仕事や住まい、これからどうなるのかどうしたらいいのか一人で立ち向かわないといけないから不安でいっぱいで眠れない。

 

バスが通るたびに揺れる道路や建物があって、そういう場にいると常に地震か、とビクッとしている。

あと建物がミシッて軋む音、ヘリの音、救急車のサイレン、それらにいちいちビクビク反応してしまっている。

 

 

 

たしかに転居先は便利だけど、朝の通勤の人混みやあちこちから聞こえるハングルや中国語に慣れない。

 あちこちひっくり返ってしまったけれど

何よりお城を眺める毎日に

市電が走る音のある毎日に

また戻りたくて仕方ない。

 

f:id:kuroshimaneco888:20171117020607j:image

f:id:kuroshimaneco888:20171117021300j:image