揺れ日記

熊本地震で被災。行政からも何の支援も無く一人で自費で県外避難転居しました。

生きる気力がない

先日東京へ行った時の事。

羽田から移動する時、

宿泊先へ向かう電車を待っていた時、

イベント会場に向かう時、宿泊先に戻る時、実は何度もふらりとホームに飛び込みそうになった。

 

たまたま、私が乗る沿線ばかり人身事故が続いててホームに警備員らしき人が立っていた。

察知されたのか警備員は私の前から動いてくれず、結局飛び込まなくて済んだのだけども。

 

地震前に必ずやってくる体調の悪さもあるのか体がふわりと引き込まれていく感じだった。

死にたいのか、もうそれすらわからない。

 

ただ、熊本に戻りたくても戻れないという今の状況、それがつらくてきつい。

住まいのこともある。

このまま継続して福岡に住めるかどうかわからない。

そういった不安がいつもつきまとい、不安は日毎に増している。

 

 

福岡ではバス移動が多く、ほとんど電車を使わない。

たまに乗っても私が使う駅のほとんどがガードされていて飛び込みが出来ないようになっている。

 

福岡で知った人といっても職場で接するごく僅かな人しかいないし、家族も誰も悲しむ人はいない。

 

 

 

地震のせいで私のどこかも崩れてしまったままだ。

あれから感情がどうにもならないくらいコントロール出来なくて、この先どうしたらいいのだろうかとか、不安や辛い事しか浮かばなくなった。

未だに地震の夢でうなされてしまう。

死んだら原因は確実にあの地震だ。

 

何か書き記した方がいいのだろうか、

警備員が目を光らせるホームで、引き込まれないよう足にグッと力を入れながらぼんやりそんなことを考えていた。

 

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2年ぶりの

約2年ぶりに東京に来ている。飛行機が取れなかったり何やらでゆっくり出来ないのが残念だけども。

地震のあとから泊まりでどこかに行くというのが出来なくなっていたのだけど、年末思い切って短いながらも1泊したら大丈夫だったので1泊ならいいのかもしれない。

 

地震の1ヶ月前にこだまさんと爪切男さんのイベントに参加するため東京に行った。

初めて行く阿佐ヶ谷で緊張していて、でも楽しい時間で避難所やきつい生活の中でその事を何度となく思い出していた。

 

今回はこだまさんと爪切男さんが同時に本を出版したというのでイベント開催となった。

チケット取れないだろうなあ…と思いつつPCとスマホの二刀流で盤石の体制で挑んだらあっさり取れた。

こだまさんの著作の中に巻き込まれている話があるけれど、私も巻き込まれていきつつあるようだ。

 

前回引率してくれた友人ベルク郎さんが今回チケットが取れなかった…と聞き

しまった2枚取っとくんだったと後悔していたら行けなくなった方から譲ってもらえたとの事でヤッタ!となる。

こだまさんの古い友人であるベルク郎さん、やっぱりしっかりと巻き込まれている。

前回お土産をちゃんと準備していなかったので今回は少しずつ時間をかけてあちこちで購入してきた。

まるで孫のためにあれこれ買ってるばあちゃんのようだ。

 

無事またベルク郎さんと合流し、会場へ。

2年前も会場前は行列になっていたけれど今回は列が長くなっていたし、客層も前回とは違っていた感じがする。

 

こだまさんは顏出しNGなのだけどまさか般若で登場するとは思いつかなかった。

くまモンの被り物を探して送ろうかとか考えていたけど、無用だった。

似合ってるし般若の面のせいでストローが口にささらず思わず手伝いたくなってしまったけれど、そういうところもこだまさんらしくてかわいい。

 

前回爪さんのお母さんのメールで爆笑してしまったのだけど、今回もラインのメッセージで超爆笑してしまった。

マンハッタン。

九州の人民なのでマンハッタンというとドーナツ状の菓子パンが浮かぶ。

マンハッタンの続きが読みたい。

 

お二人で共通しているのがメルマガとかライターとか「書く仕事」をしていたという点。

だから本になるような話を書けたのかなあとぼんやり考えていた。

 

 

イベントではここでしか聞けない話や執筆中の話も聞けて久々に笑った。

 

 

地震のあとから楽しいことを素直に楽しいと感じられなくなってて、毎日誰とも話さず親しい友人もいない中で孤独に過ごしていて、気持ちがかなり荒みきってノイローゼ気味になっていたのだけど、一緒にイベントに行ってくれたり、こだまさんや爪さんが好きで共に過ごす人々がいることに気づき感謝している。

 

お二人にお土産渡せないかも、と思っていたけど最後に無事渡せて良かった。

このイベントのためだけの東京行きで他に何処も観光しておらず、もう羽田で帰りの飛行機を待っているのだけども、

次は品川神社に行ってそこからの景色を眺めてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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どうにもならない

年が明け、熊本での仕事で応募していたところから面接の通知が届いた。

仕事を休み、スーツを着、早朝暗いうちに家を出て寒い中面接のために熊本に向かう。

 

ひとつは私がやりたくて経験を生かせる仕事。ただし会社の場所が郊外なうえ、通勤費が出ないため必然的に住むエリアが限られる。

 

昨年よりは随分増えたけども、賃貸物件が地震の影響がまだまだあるのか数が少ない。

面接で仕事の経験の話のあとに、地震後の一人で耐えた不自由な生活のこと、自費で転居までやってのけた話をしたら、そんなタフな人なら是非にと即決で採用が決まった。

しかし、私の必須条件である保証人不要物件が通勤可能エリアで無く、あちこち問い合わせしたけれど、住む部屋がどうにも見つからず辞退しなくてはならなかった。

 

もうひとつは以前勤務していた職場の他部署。

待遇が比較的良く通勤費が出るので住むエリアを絞らなくても良い。

決まればいいなあと思っていたけれど

しかしここは引越まで待てないと不採用になった。あーあ、である。

 

 

他にも熊本の派遣会社から電話がかかってきたりしたけれど、仕事や住む部屋が決まるまでには至らずで諦めるしか無いのかなあと思ってしまう。

 

昨年7月より県外避難者で希望する人にボランティア団体から熊日新聞が郵送されるようになった。

もちろん私の元にも数日遅れだったりするけど熊日が届くようになった。

 

最近県外避難者の連載が開始されているのだけれど、逃げたとか自分から出ていったのだから支援なんて必要無いとか、そんな声もあると書いてあった。

 

できれば熊本に残りたかったけれど、仕事の契約満了が7月で、無職までカウントダウンな状態で職場の宿舎に仮入居させてもらっていたので退職したら出なくてはならない。住む場所がなくなる。

 

住所不定もうすぐ無職。 

 

そんな状況で住む場所と仕事両方探すのは難しいと目に見えて分かっていたし、何より水が出ない生活や、寝る場所求めて彷徨う避難生活や絶えず続く余震に心も体も疲弊しまくっていた。

なら仕事求めてしばらく離れた方がと思っていたところに県外での民間賃貸物件に優先的に入居できる情報を得て、熊本を離れることに踏み切ったのだった。

 

だけど、私みたいに自費で賃貸物件に避難したのは県が県外避難者としてカウントしている数には入っていない。

熊日の取材対象もみなし仮設や公営住宅に入居している人ばかりで、完全に埋もれてしまっている。

 

いつ戻れるか分からないし、

もう諦めるしかなくて、こちらで住むことを考えた方がいいのだろうか。

 

美容室や病院など、用事があるたびに熊本に帰っていたけれど、昨年末からなるべく帰らないようにしている。

行き来の交通費の負担が重く、節約のためだ。

美容室もこちらで探し、通うことにした。

熊本の行きつけの美容師さんほどカットが上手じゃないけど、仕方ない。

 

だけど我慢し耐える事が地震以来2年近くずっとずっと続いていて、時々抑えられないくらいイライラしてしまって買い物先でとか、あちこちにあたってしまう。

 

ただ住み慣れた熊本で、落ち着いて穏やかに毎日を過ごしたいだけなのに。

それが叶わない。

 

 

 

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帰る地はどこに

先月末から日帰りだけど毎週末、熊本に

帰る用事がありバタバタと行ったり来たりしている。なかなかに忙しい。

 

昔住んでいたエリアに数年ぶりに立ち寄る事になり、少し手前でバスを下車し歩いてみることにした。

 

コンビニや飲み屋とか懐かしい街並みは余り変わっていないように見えていたけれど、もしかしたら住んでいたかもしれないアパートが取り壊され新たなマンションが建築中となっていた。

 

驚いて、うわぁと声に出してしまったのが目印となっていたスーパーが何と更地になっていて、そこには何にもなかった。ただの砂利のがらんどうの土地がそこにあった。

 

大手じゃない、昔からある店舗だったけどそういうのが良くて、野菜を買いに仕事の帰りに寄っていたのだけれど、引っ越してから行かなくなっていた。

割と大きな建物だったから大丈夫かなあと思っていただけにショックは大きい。

 

 

更地になっていたのが、あまりにショックでぼんやりしてしまい行き先の道を間違えて違う方向へ歩いてしまっていた。

 

 

帰り道、地震のあと開いてるコインランドリーを探してこの辺まで来たんだったなあ、とか思いながら帰路についた。

 

街中はクリスマスの買い物客でごった返していて、傍目には地震なんかあったのかなと思うくらいだけれど、

記憶には人が少なくて、店舗が閉まったままの、暗くてがらんとした街中がはっきりと残っている。

ぽつんぽつんと炊き出しをしていて、人びとが行列になっていた景色も。

 

ここにまた帰ってくるのかな、それとも今のまま福岡に留まるのか、どうなるのか分からない。

私の帰るところはどこにあるんだろうか、迷路の中にいるような感覚に陥ってぐるぐると目眩がしてきだした。

 

 

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一年7か月

地震被災し熊本を出て県外に住む希望者に地元の新聞、熊日を届ける支援というのが始まり最大一年、郵便で届くようになった。

 

あれを経験していない人びとの記憶からは薄れてしまっているし、職場でも

「まだ地震のこと言ってる」と呆れられている。

郵便だから2日遅れだけど、でもちゃんと届けられる熊日を読むとあちらこちらでまだまだまだまだ、やっとこれからという状態で爪痕は深く大きい。

 

一ヶ月半ぶりに熊本に帰る用事があり

少し城の周りを歩いてみると、

仮舗装の、でこぼこした歩道になっていて、何処からかドリルの音が響いていた。

 

 

立ち入り禁止の黄色いビニールテープがひらひらしている解体を待つアパート、解体真っ最中の家、お金の都合がつかないのか資材不足からか未だブルーシートの屋根たち。

解体し更地になっていたり、まだ通行止めになっている道、マンションやビルの多くは補修中で、足場や防音シートで囲まれたのが多く、灰色一色の景色になっている。

 

 

私は私で、熊本に戻ることが出来るのか、仕事や住まい、これからどうなるのかどうしたらいいのか一人で立ち向かわないといけないから不安でいっぱいで眠れない。

 

バスが通るたびに揺れる道路や建物があって、そういう場にいると常に地震か、とビクッとしている。

あと建物がミシッて軋む音、ヘリの音、救急車のサイレン、それらにいちいちビクビク反応してしまっている。

 

 

 

たしかに転居先は便利だけど、朝の通勤の人混みやあちこちから聞こえるハングルや中国語に慣れない。

 あちこちひっくり返ってしまったけれど

何よりお城を眺める毎日に

市電が走る音のある毎日に

また戻りたくて仕方ない。

 

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戻りたい戻れないもどかしい

熊本に戻りたいとかつぶやきながら何もしてない訳では無く、前の勤め先や市役所やら、あちこちの求人を毎日毎日見ている。

あっ、と思った募集も勤務開始日が近いものばかり。タイミングが合わない。

引越しが絡むので、直ぐの勤務が出来ないからなかなか難しい。

 

実は今年の春先にある所に応募し面接、となったけれど仕事の都合で辞退せざるを得なくなってしまった。

ただもし、仮に決まったとしても住む部屋、賃貸物件がほとんど無かったという状況だったからどうなっていたのだろうかとも思う。

 

少し前に熊本県が開催した就職セミナー、とやらにも会社を休んで参加してきた。

有給がまだ無いので欠勤になるから無給になるけれど、それより熊本に戻るための方が優先だったし、職場のストレスが蓄積されてどうにも我慢の限界に達していて、欠勤もやむなしで行くことにした。

 

まあ、いくつか良いかなという企業があって面接に…という話になったけれど

蓋を開けたら物凄く安い時給制とか、パートアルバイト扱いだったりで、これでは賃貸物件の審査が通らないし、部屋が借りられても生活が厳しくなるのは明らかで、一旦全て辞退した。

 

今までだったら相手の事を考えずに待遇の事だけを言ってしまってたんだろうけれど、今回はやんわりとだけど相手が納得いく理由を考えて、穏やかに済むように辞退の旨を伝えた。

 

今はどうにも動けない時なのかな、と

思ってあと少し、じっと待機することに決める。

 

今の職場からなかなか更新の回答が無く、来月から無職かな、ならばしばらく何もかも放り出して、頭からっぽにする旅に出てみようかなとかつらつら思っていたら年内いっぱい更新になった。

 

あと少し、あと少し。

もどかしいけれど熊本の求人検索しながら年明けまで待ってみよう。

 

 

 

 

無題

台風だとある程度には事前に心構えや避難の準備が可能だけど、特に地震は本当に何の前触れもなく突然やってくる。

だからあの時の恐怖が皮膚の奥深くまで刺さった棘みたいで、膿んで腫れ上がり痛みを増し、それでも棘はなかなか抜けない。そんな感じ。

 

熊本を離れるまでは皆が被災者で、見渡すと誰もが不自由な生活を強いられていた。

熊本を離れると余震からくる体調不良が無く、安心したのだけれど

今度は地震を「知らない」人々の無知さに振り回されてしまう。

 

早いうちから報道が少なくなってしまったのが原因だろう。

無知ゆえの言動からか、私は怒りの感情が増え、未だに苛立ちと歯がゆさの中にいる。

 

 

恐ろしい揺れの中で、怪我するかもしれない中どうにか避難所まで行き、寒さに震えながら眠れない夜を過ごしていた時にも

水や食料が手に入らず、どうしたらいいか路頭に迷っていた時も

洗濯やシャワーやトイレが使えない、普通の生活が出来ない中もがいていた時も

今後の住処と仕事をどうするかと悩んでいた時も

この人らはいつも通りに仕事に出掛け、コンビニやスーパーでは溢れんばかりの食材から食べたいものを選び、酒を飲んだり温かい食事をし、お湯をふんだんに使った風呂に入り、テレビを見て笑い、暖かい布団で寝、それが当たり前、と過ごしていたのだよな…と、どうしようもない事を考えてしまう。

 

まだ醒めない夢の中にいるような感覚で、ぼんやりした世界で生きているような、そんな毎日で、これからの事を考えると不安でしか無くて、しかも暑さで気力も無くなり大丈夫大丈夫と言いながらも、いつも死にたい死にたい…と考えるようになってもう、どん底だった。

 

どん底な中で、どうせ死ぬなら最後は美味しいもん食べるとかして、少しでも楽しかったなあって思ってからがいいなとも考えていたら本当に美味しいものが送られてきて、嬉しくてわあわあ泣いた。

おかげで今は少しだけどん底から泥だらけになりつつ這い上がってきています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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