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揺れ日記

熊本地震で被災。行政からも何の支援も無く一人で自費で県外避難転居しました。※地震による精神的ダメージにつきしばらく更新ストップします

揺れる思い

昨年、2度にわたる大地震を経験した。

文字や言葉に出来ない、経験しないと分からない恐怖と数分おきの余震が続く中での不自由な暮らし、県外避難と日常生活そのものが一瞬にして崩れた経緯を忘れないために備忘録として日記にすることにした。

 

題名は地震そのものと次々と様々な決断を強いられたりして、不安な心の「揺れ」を入れようと決めた。

 

いまはフラッシュバックや避難転居地と熊本との狭間で心はあの時の震度並みに揺れて崩れている。

 

先週、転居地でM7クラスの地震が発生する、とかいう情報が飛び交い結局誤報というかそんな情報だったらしいが、ひどく無神経な出来事があった。

 

転居して得た職場で、ある人が「ほら、地震くるってよ」と何か面白い事があるぞ、とニヤニヤしながらその情報の携帯画面をつきつけてきた。

突然の事で何も言えなかったが、後で私たち被災者に対して失礼だ、と怒りにふるえた。

その人は私も含めあちこちの人に随分と迷惑行為を続けていたりと困った人で嫌われている。

勿論地震の事も平気で私の目の前で「どうせ人ごとだから」と言う。

 

だからまたか…と思ったが、数日してまた

地震来なかったですねぇ」とまた面白い事が無かったなあという感じでニヤニヤしながら言ってきた。

さすがにカチンと来たので、正式な情報ではない事を厳しい口調で言った。

あと地震以来、眠れない毎日であることも。

 

 

 

 

 

 

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まだまだな感じ

ニュースで地震の際に滑り落ちた岩、オークション落札され粉砕。という記事を見た。

 

これだけでは真意が伝わらないけれども

詳しい事情はというと、地震の際に道に落ちてきた巨岩があり、道を塞いでしまった。

これでは困る、どうにかしてほしいと行政に頼んだが何もしてもらえない。

支援団体の人のアイディアで(処理の費用を捻出するためと思う)オークションに出したのだったが、落札したのは同じ熊本の業者で、処理の費用も落札した業者が負担しているのだ。

 

処理までに1年かかって、やっと肩の荷がおりた…というニュースだったのだ。

 

行政、ノータッチ。

私だって一切支援が無くて、食料から何から、熊本の住まいも見つからず転居先探しも費用も今まで自腹で全てやってきた。

この地震で感じたが、説明が不十分すぎたり、たらい回しばかりだったりうやむやにされたりして、はっきり言って行政は頼りにならない。

市長に直に言いたかったし、正直、払った税金返せとも思ったことだって何度もある。

 

私だけじゃなくて、自分たちでやらねばならないのがあまりにも多くて、行政に対するイライラもたくさん見てきた。

 

先月、熊本に帰った際に以前の通勤路だった

裏道的な道路を通った。

裏道とはいえ細いけどバンバン車も人もチャリも通る地域の大事な幹線道路だ。

 

だけど。

「とりあえず割れたとこだけ修理しました」

といった状態で道はガタガタしている。

幹線道路はきれいに舗装されているが

一歩入ると通学路で子供達が使う道でも

穴が開いたままやデコボコしたままの道もある。

 

熊本にいるときにこれでは子供達や高齢者とか普段でも歩くのに不自由な人がつまずいて怪我してしまうこともあるかも…と県や市に電話したこともあったが

「箇所がたくさんありすぎて対応出来ない」と言われた。あと、たらい回し。

まあ分からないでもないけれども、話聞くくらいはできたんじゃないかなあとも思った。

 

まだまだな感じが多い。

帰った時に「観光客とか外から見えるとこだけ、きれいにしてるし集まったお金もそういうとこにしかいかないんだろうね」って話も出た。

復興って何なんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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出来なくなってしまったこと

転居先で通勤途中、目の前を歩く女性は当たり前のようにヒールのある靴を履いている。

いいな、と思うけれど私はもう履けない。

似合わないとか脚が痛くなるから、ではない。

 

何度か必要に迫られ、そう高くないヒールの靴を履かねばならなかったけれど、熊本じゃないのにバクバクしてしまってダメだった。

スカートも、身につける時は緊張した1日になる。だから靴だけは歩きやすいものにしている。

 

元々肌が弱いので濃い化粧は出来ないけれど、地震後の酷い湿疹や肌荒れもあって未だに

無添加日焼け止めしか塗れない。

あの時は顔が洗う事すら出来ないのが続いて、除菌ウエットティッシュで顔を拭いていたという経験が化粧らしい化粧が出来なくなった理由の一つだ。

 

地震からこういう風になってしまったのは、

私だけではないらしく、結構いるみたいだ。

 

あの割れた地のように、崩れた建物のように、女性の楽しみ、というかそういったものが

一瞬にして崩れ削り取られた気がする。

 

ずっと地震の事が離れなくて、起きていても

やっとの思いで寝ても夢に出るから本当に

ずっとずっと離れないのだ。

 

 

せめてもと、たまにデパートの化粧品売り場をうろちょろしてキラキラしてカラフルで様々な

化粧品たちを眺めたり、ネイルサロンで爪磨きだけをしてもらったりする。

指先の手入れだけだけでもしぼんだ気分が随分変わるからおすすめする。

 

ファンデーションやマスカラなども転居の際に全て処分した。

ヒールのある靴はリサイクルショップに送った。

もう今後、よっぽどの事がない限り

きちんとメイクはしないだろう。

ハイヒールも履かないだろう。

 

「まだ地震引きずってる」

と思うひともいるだろう。

でも、それだけ深く深く、刻まれてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

迷いながら生きる

転居してしばらくの間は、報道がすぐにされなくなりだしたのもあって、被害の大きさや深刻さを一人でも多く理解してほしくて転居先やツイッターでも話したりしていた。

 

転居先は熊本から100キロほどしか離れていない隣県だし、私のように避難転居した人も多いのに、みな驚くほど無知で、私たちの気持ちも考えずに

「転居するくらい酷かったの?」とか

「どうせ人ごとだから」と平気で言う。

ぶん殴りたくなるのを何度こらえたか分からないくらいだ。

 

転居先の暮らしは便利だけれども、

そういうので息が詰まりそうになるから割と頻繁に日帰りで熊本に帰っている。

少し前に熊本に帰った際に、昔勤めていた職場のメンバーが集まり昼ごはんを食べる事になった。

 

そのうちの一人は現在、やっと決まったみなし仮設に住んでいる。

そうかあ、ひとまずは住むとこ決まって良かったけど(退去まで)あと1年半くらい?

なかなか落ち着かんですね…と言うと

「そうなのよー、まだまだよね」などと話した。

私も転居先で理解が無く、無神経な言動が多くて嫌な思いをしていることを話すと、えっ、隣県でと、びっくりしていた。

 

転居先では「みなし仮設って何?」

と聞かれるので仮設住宅との違いやシステムから話さなくてはならず、非常に骨が折れる。

しかも一人だけではなく、職場でもあちこちで何人にも同じ説明をしなくてはならなかった。

職場での飲み会では上司から地震の事でプライベートな内容にまで及ぶ事をしつこく聞かれて辟易してしまった。

 

上司なのでなかなか話したくないと断わるのが難しい。

その後も違う上司がしつこく聞いてきたり、自分一人だけ転居してきていいのか、とか余計なお世話だと思うことを言ってきたりする上司もいる。

 

話しているとあの時の恐怖や辛さが蘇ってきて

必ずパニックに陥るし、夢に見てうなされてしまう。

なので、これからは聞かれても話さない事を決めたが、今まで相当無理していたのだということにも気づいた。

 

死ぬことばかり考えてしまうようになったのは

転居先でのこれからの住まいが見つからないのと、こういった無知な人たちが引き起こす無知な言動が原因である。

ツイッターでも、嫌だなと感じる時があり、今は時々メッセージの確認をするだけで基本放置している。

 

 

熊本でも温度差があって、被害の大きさが分からない人もいる。

けども、ほとんどが恐怖や不自由さを経験しているからいちいち話さなくても分かる。

ここが転居先と大きく違うところで、

例えば「私ね、頭が全部白髪になったとよ〜」

と話すと「あぁ、私も白髪とシミやらシワの増えたよ、たいぎゃ老けた」

「そうそう、わたしも。顔洗えんかったし、それどころじゃ無かったもんね〜」とこんな感じで多くを話さなくても分かりあえるのが楽だった。

もしもまた地震あったら次は頑張らんですぐ言わなんよ!と普通に言い合えるのが嬉しかった。

 

この気づきがあって、転居先に戻る時に「転居先での住まいも見つからなかったし、精神的な面から熊本に帰ったほうがいいのかな」と考えてしまった。

 

だけども、私の置かれた事情を思うと

すんなり熊本に帰ることは難しい。

今はまだ転居先での仕事があるのですぐにはといかないし、熊本での仕事が決まらないと住まいも契約出来ない。

 

これからどちらに住むか、焦らずしばらく迷ってみよう。

流れに逆らわず、自然に任せよう、と小さな決意をした。

 

 

 

 

 

 

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掬い上げられて

一年前、地震に遭ってから熊本を離れるまで

3か月近く仕事をしながら避難所や知人宅や宿泊先や職場や宿舎とか寝る場所と身体を洗う場所が変わり、水が出なくてトイレや汲みおく水は何処で、とか食べ物は何処で手に入るのかを毎日調べ、2回の引っ越し転居の手続き、お金の心配もあり転居後すぐ新しい仕事と、生活を立て直すことに必死だった。

とてもじゃないけどマトモな生活ではなかったな、良く耐えてたなと、思う。

 

転居先では分かろうとしない人々ばかりで、

心無い言動に傷つきフラッシュバックに振り回されている。

 

2回の大地震は夜だったのもあって

今でも眠れない夜が続いている。

 

頭髪は全て白髪になり、見える所だけ頻繁に自分で染めている。ちょっとかきあげると真白。

シミシワが増え、数歳分老けた。

顔面と頭皮に湿疹が出来、痒みとボコボコが引くのに数ヶ月かかった。

常に頭の中に「今地震が来たら」というのが

あって、ゆっくりお風呂に入れなくなったし、真冬でもシャワーでサッサと洗うだけ。

 

泣きたくても泣けず、心から楽しむこともなくて感情が死んだようになり、抜け殻になった私はただただ仕事だけして食事は餌のようになってしまった。

 

先日日帰りで熊本に帰った際に前の職場の

メンバーで集まった時に

「また痩せたね、大丈夫?無理してるんじゃない?」と言われた。

地震の事を転居先みたいに「わざわざいちいち細かく」聞かれないし言わなくてもいい。

言わなくとも分かるのがとても楽だということに気づく。

 

転居先で住替えを考えていたけれど、私の条件では難しく、地震のストレスもあって

この先生きていく事に意味が無くなり毎日毎日どうやって死ぬか、そればかり考えていた。

 

そんな時に有難いことに、ある方からまるで神様の手に掬い上げられるようなメッセージが届いていた。

誰かに頼る事なく1人で生きてきたように思ってきたけれど、それは間違いで誰かの支えがあってやってきてこれたのだ。

 

でも…頼っても、甘えてもいいのだろうか。

本当に困ったら、と思う。

 

不思議なもので、もうダメだとなった時に何かにひょいと掬い上げられるような、掴み上げられるような事が起きる。

癌が見つかった時も本震の時もそうでまだ死ぬのは早いと言われているような、そんな気もする。

 

私は誰かの支えに、誰かを支えられる

そんな存在になっているのだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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忘れることは不可能

思うところがあり、昨年末から部屋を探しているものの土地柄らしく、保証人不要物件自体かなり少なく難しくて探すのをやめてしまった。

 

先日残業して帰宅すると天井から漏水して水たまりが出来てて、しばらくぼんやり眺めていると地震後、あちこちに入ったクラックと漏水が酷くてその時の事を思い出してしまった。

今の住まいの場所は便利だけど古くて不具合が多いのがネック。被災者支援物件ですぐ契約出来たのは良かったのだけれども。

 

こんなことに慣れてるのも何だかなあと思いながら、何処から漏れてるか天井を開けて調べ、写真を撮り不動産屋に連絡。

 

ここに住まうのは限界かもしれない。

あと1社、と、ある不動産屋へ内見含め出かけてみたら今より家賃が安く職場に近い、ちょうどいい物件が出たばかりで、うわあ…漏水グッドタイミングかも…と浮き足立ってしまった。

 

不動産屋からこちらが地元ですかと聞かれ、

本震からちょうど1年、という日というのもあり地震で転居したこと、地震後の不自由な生活のことを少し話した。

そんな状態だったんですね、全然知らなかった、と言われた。

 

「知らない」んじゃなくて、

「知ろうとしてない」だけでしょうと言いたくなるのをこらえるのに必死だった。

そうしたら「『地震のことなんか』忘れてこっちでの生活楽しみましょうよ〜」と。

 

私の中でまた何かが爆発してしまった。

なんかって何だよ、忘れられる訳がない。

いつもいつも何をしていても

「今地震きたら」というのが離れなくて

楽しめないんだよ。

今でも毎晩眠れないのなんてあなたには想像もつかないでしょうけど。

とまでは言わなかったけれどそんな内容の事をこらえきれずキツく言ってしまった。

 

結局、保証人無し物件だったけども

内金が必要とか退去時にクリーニング代がいるとか緊急連絡先は近くに住んでる人がいいとか言われ、そこまでの付き合いの人もいないし断わるしかなかった。

 

あーあ、熊本帰った方がいいのかなあ…という気持ちが一層強くなる。

先日帰った時に桜舞い散る中で熊本城を見るとクレーンが見えた。

お城も少しずつ少しずつ、前に踏み出している。

転居先はとても便利だけども、配慮というか優しさや温かみが無く冷たい気がする。

私は以前のようにお城を毎日眺められる生活に戻りたいのかもしれない。

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あの夜から一年

4月14日、が来てしまった。

熊本でまた揺れが続いているし、こちらでも朝から揺れたのもあり、「何事無く過ぎますように」と祈りながら仕事を進める。

熊本を離れたからか周りの人からは何も言われない。気遣いか無関心なのか。残念ながら後者の方が色濃い。なぜなら職場の朝礼でもスルーされ黙祷すら無かったのだ。

 

前震から一年。あの日から何もかもが崩れた。

家や道路だけではなく、人生設計までもが。

 

地震が無かったら、私はこの地にいないし

もちろんここにもいなかった、という話を職場でしたら「そうかあ…そうなんだよね」と言われる。

地震が無かったら。を考える。

前職を退職せずに別部署で継続雇用されていただろう。その話をきちんとした形で進める矢先の地震だったから。

やりたかったアロマやハーブの教室を始め、時々旅行したりと、のんびりと暮らしていたはずだ。

 

住まいや仕事を探して路頭に迷ったり

あちこち転々としなくても良かったし

髪の毛が全部白髪にもならず

心労や毎日の睡眠不足で顔が老ける事も無かったし

食料や水が無い不自由な生活にもならなかったし

転居もしなくて良くて、失礼な言動に怒りを覚えたりも無かったはずだし

何よりも揺れに怯えながら夜がこんなにも怖く感じる事なく過ごせたはずだ。

 

時々、地震さえ無ければ…と何処にもぶつけられない怒りをどうする事も出来なくて、ただただ悔やみ悲しむしかない、という事がある。

 

今日も空を見上げると満月。

絶え間なく続く揺れの中、

寒さに耐え、給水の行列に並んだあの夜。

見上げると満月だった。すごくきれいだったけれども

地震以来、満月と夜空が嫌になってしまった。

必死に駆け抜けて耐えてきた夜たちを思い出すから。

 

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